「現代演劇」へ切り込む

「とまる。企画」ではわけわからんと言われている「現代演劇」を楽しんでみたい!という欲求の元「現代演劇」に深く切り込む一連のシリーズを企画しました。その第一弾が「シリーズ:ハムレットマシーン」です。

 最近、私は「現代演劇」というワードが気になっている。現代演劇?それってただの演劇となんか違うの?と聞かれてもさっぱりわかりませんが、風の噂によれば、どうやら京都という街で上演されている舞台の中に、それはある……らしい。最近、京都に拠点を構えた三浦基ひきいる劇団地点は「現代演劇」というものの可能性を開きたいらしいし、京都芸術センターが主催する『演劇計画』もまた「現代演劇」に切り込んでいる……らしい。その共通点は難解で、物語がなく、「わかりにくい」点。
 時々、何の予備知識もなく見に行って「おおーい!」って言いたくなるような、前衛的で難解な作品に出会ったことはありませんか?それらの作品群をひとまず「現代演劇」と呼ぶことにします。
 それは確かに「おおーい!」て言いたくなる難解さを持つけれど、あれだけ難解だと逆に何かとても大切なことが言われているような気も……もうどうせなら「なんであんなわかりにくいことするのかわからない」と評判の「現代演劇」をちゃっかり楽しんでしまいたい!しかし、どうやって?
虎穴に入らずんば虎児を得ず。「現代演劇」を知るには実際に「現代演劇」に触れてみるのが早いじゃないか。そんな気持ちを胸にとまる。企画は「現代演劇」をテーマにした一連のシリーズを企画することにしました。

 今年度はパフォーマンスカンパニーtabula=rasaを企画参加団体として迎え、1年間で3回、「現代演劇」にぶつかりまくります!

とまる。企画代表 高田ひとし




なぜ『ハムレットマシーン』か?

 1977年、旧東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーはシェイクスピア『ハムレット』の改作劇として『ハムレットマシーン』を発表しました。ところがこの戯曲、たった12ページほどの長さしかなく、当時の政治状況・文学・詩・戯曲・妻の死などから縦横無尽に引用された「引用の織物」として編まれ、しかも「役」という概念はなく、ほとんど長大なモノローグのみで構成されるという「近代劇」の枠組みから大きくはみ出す破天荒な戯曲だったのです。その謎めいた表現は多くの演劇人をひきつけてやみませんでした。
 日本では西堂行人らによってHMP(ハイナー・ミュラー・プロジェクト)が設立され、90年代を通じハイナー・ミュラーの輸入が盛んになりました。現在でも、HMP theter companyやOM-2などのカンパニーが『ハムレットマシーン』を通じ積極的に新たな表現を開拓しています。

 とまる。企画もまた『ハムレットマシーン』という近代劇の枠組みを超えた戯曲からはじめることで、「現代演劇」とは何なのか? という問いの答えに少しでも迫れるのではと考えました。「現代演劇」ということで一体何が行われているのか? そんな「現代演劇を問い直す」場所を探っていきます。

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